吉野ヶ里遺跡

弥生時代

縄文時代よりこの地に人々が集まり生活を営んでいました。BC300年頃に最盛期を迎えました。
弥生時代の有力なクニの一つと考えられており、邪馬台国との説もあります。
上の写真は、遺跡内最大の建造物で、祭殿と考えられています。
下の写真は、遺跡の全景です。多くの建物と広大な水田を持っており、豊かなクニだったと
考えられます。

豊かな一方で、クニ同士の争いも多くあったと考えられ、この集落は、下の写真のように巨大な環濠で守られています。
遺跡からは、首のない遺体、肩、腕に刀傷を受けた遺体、腹部に10本もの矢を打ち込まれた
遺体も発掘されており、戦争の激しさを物語っています。

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コメント

  1. 歴史だいすき より:
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